理系博士の人生

研究よりも組織論や理系教育に興味がある体育会系工学博士のおぼえがき

研究を多角的に進めるなら企業も結構いいよ

twitterで色んな方が言及しているんですが、企業と大学で研究することの差は何だろうって色々考える機会がありました。

自分は学位取得後は企業での研究経験しかないので、学生時代と今とで何が違うか考えてみました。

 

1、研究を多角的に進めるには企業はいい環境

企業の一番の強みは研究者の人数だと思います。特に異分野の研究者がそこら中に、手が届く範囲にたくさんいます。しかも、30-45歳あたりで現役の方が多く集まっています。ちょっと教えてくださいと言って話に行けるくらいの距離感です。

これがどんな意味を持つかというと、自分の研究を少し違った目線で見やすいです。例えば僕はレーザ加工の専門家ですが、材料物性(特に化学構造とか)は教科書読むレベルの知識しかなく、研究者ほどの視点はありません。実験結果に対するディスカッションが不足している時に容易に異分野の方と会話できるのはとても心強いです。

もう一つは自分の開発した技術を異分野に応用しやすいです。レーザでナノ構造を作れます!という文献をよく読みますが、応用先に乏しいケースは多くあります。なおかつ、その応用先はレーザの専門家視点の応用できます(キリッ)て感じの自己満足なことも多いと思います。

こういう時、企業では、各事業部の研究者もいるので製品目線での応用先検討や異分野の研究者から見た時にナノ構造が発揮する表面物性について学びを得ることができます。

この辺、ある技術を深めやすい大学とは違う組織構造・環境だなと思いました。

あと、分析の専門家もいるので、すぐに例えばXPSで表面分析しようとか、EBSDで結晶性評価しようとかできます。

 

2、少額のお金でできる研究ならかなり自由に進められる

企業の研究では毎年予算がつくので(事業の景気に大きく左右)、些細なことを試すのはかなり自由度高くやれます。1000万円を超えるお金をとってくるのはアカデミック同様難しいのですが、大きなお金を取るためにちょっと試してみたいレベルはすぐ動けます。

 

何をしたいのか?次第ではありますが、ベテラン研究者が身近にたくさんいる企業の研究もなかなかいいですよということでした。

 

では

 

 

部長を過学習するぼくたち、会社にいる偶像の上司

仕事をしていると、上司が何を考えているかは結構想像するんです。

 

私「部長に指示された資料でも作るか、上司はこういう資料が欲しいと言っていたから、こんな感じでどうや!」

 

部長「この資料で言いたいメッセージはなに?」

 

私(・・・!?!? あれ、作る目的・用途は言わなかったけどなんだこの自信。まぁきっとメッセージはこういう感じだろ!)

「こういうメッセージです!」

 

部長「いやいやいや、それを言ってもしょうがないじゃん、事業部はこう考えているんだから」

 

私「はい!すみませんでした!」

(なにが欲しいかちゃんと言えよ、深く聞かなかったことには落ち度はあるけど)

 

というケース、結構あります。僕もよく後輩に似たようなムーブをかまして謝ってます。マジごめん。

部長もいちいち全部話せずに依頼をするから、僕らが上司になったつもりで色々やらないといけないんですよ。(伝わっているか把握するのは難しいのもある)

で、だんだんそれが発達してくると、打ち合わせで、僕らの想像する部長がどう思うかで色々考え出します。

「A部長はこう考えて、このコメントをしたんだと思うよ。だから、こういう提案したらどうかな」

「違う、A部長はこう考えているからこうすべきだ」

こんな感じになります、地獄。

実際に部長に聞きにいくと全然そんなこと思っていないとかね、地獄。

 

会社には偶像の部長とリアル部長がいるという話。

 

 

万年補欠はキャプテンになれない

チームスポーツを中学校から大学までずっとやってきたんですよ。

チームスポーツだと、勝つためにメンバーを選ぶわけですから、ずっと試合に出れない人もいますし、先輩を差し置いて試合に出ることもあります。

部活という遊びでも当たり前なんですけど、キャプテン・部長とかポジションのリーダーとかって、入部の時点で大体見通しがついているんですよ。

上手いかどうかってのはもちろんあるんですが、まず主体性があるんですよね。「自分がやる」という意思ですね。

 

で、会社の話に戻るんですけど、会社は年次を過ごせばお給料は増えて、職位がついてくるんですよ。

これは年功序列という制度なんですよね。普通年次が増えていくと研究職もテーマ担当者からテーマのリーダーになっていくんです。

これって結構おかしいんですよ。この一個前のメモにも書きましたけど、テーマ担当者とテーマのリーダーって全然やることが違うんですよね。

結局言われたことをやるだけではリーダーはできないんですよ。当たりまえだけど。言われたことをやってたら言われなくてもやる癖はつかないですよ。

 

部活で補欠の先輩がいたとしましょう。その方が経験を重ねたとしてキャプテンにはならないですよね?

雑な言い方ですけどそんなイメージです。

 

主体性を持ってやらないといけないと部活で言われまくってたので僕は割と自然とできる気がするんですど(すごいでしょ、ここで承認欲求を満たしています)

意外と会社でできる人は少ないです。どこかみんな他人事で、テーマは誰が持ってきてくれるでしょ、みたいな感じです。

俺・私がやらないとダメだって思う人は会社だとほんと少ないんですよね。

 

今更振り返って考えると博士課程は特に主体性ありきの研究をやっていくせいか(人によるかもだけど)、主体性ある人が多い気がするよ(バイアスかけまくり)

 

主体性を持って考えてみようよというお話です。

 

(今日は先輩に、全然未来を描いていないなと言われて、今の業務的にやれるかアホか!と思いながらもやれなかった自分に軽く凹んでたんですけど

 書いていい自己満足が得られました、ありがとうございます。)

並列に仕事するのは無理です。

勤続5年を超えてくると研究テーマのリーダー(言っても3人で1つのテーマとかの小規模とか)をやるようになるんですよ。

で、テーマリーダーになるとやる仕事が増えてくるんですよ。

自分の担当分を進めながら、ほかの2人の進捗やディスカッションを手伝います。まずこのディスカッションの負担は

チームメンバーのレベルにより全然違います。リーダー的に嬉しいメンバーは、事業部の背景を考えながら研究課題をスケジュール通り進めてくれる人ですね。

それを正しいロジックで教えてくれる人ですかね。分かりやすさというよりロジックが大事ですね。(もちろん自分はそんなメンバーではないのですが)

無茶苦茶な人だと、どういう仮説を立てて、どういう実験をして、なんて考えませんし、実験結果もちゃんと自分なりにディスカッションしません。

この辺、優秀(普通の人)な人が多いかどうかで全然違う。。。採用活動大事。。。

 

で、テーマ全体を把握しつつ、今進めているテーマをどう発展させていくかを考えます。研究所は事業部から課題とお金をもらって研究をするんですが、

事業部が明確なビジョンがあって、事業部の担当者も同じビジョンを持っていれば、楽チンです。何も考えなくても課題が出てくるので、

どう解決すればいいかを示せればテーマになります。

 

そうじゃないテーマの方が多いです、お前ら提案してこいやという方もおりますし、その場合は研究者が事業部の市場調査して未来はこうなるからこういう研究しましょうって提案もします。(事業部の製品展開のスケジュールくらい見せてくれよって思いますよ、そこ隠す必要あるか?みたいな)

 

後者の方が多いです。日本大企業は人件費が高いので事業部が社内研究所に委託するのは結構費用がかかるんですよ。だから研究所がプッシュしないと研究テーマは始まらないです。

研究テーマを考えてお金を取ってくる人が偉いのは企業も大学の先生も一緒です。企業においてはもちろん成功することも大事ですが、研究テーマを始めた人が研究を完了させる人とは限らないので、基本的にはテーマを立てる人が有能な人と見られます。

 

で、一番何が言いたかったかというと、1つのテーマリーダーをやるなら別にさほど問題はないんです。2つのテーマでもまぁ問題ないんですよ。2つの事業部の研究テーマを持つとかなりきついです。事業部の背景を把握しながら研究を進めるので脳みそのもともと少ないメモリを消費したまま仕事するのです(無理です)。

 

今はまさにそんな感じできついです。一番やっちゃいけないのは2つやろうとしてどっちもできないケースなので、優秀な人にサブに入ってもらうことで自分の負担を減らしてい供養に頑張っています。

 

 

 

無理なものは無理

無理なものは無理なんです。

 

30代は本当に悩みの時代なのだと痛感します。ライフステージの変化、キャリアの変化(転職タイミング・・・)とか、

自分の人生を方向付ける時代かなと思います。でも本質的にはきっとその悩みの底にある、

「自分のきちんと知ること」

だと思うんです(格好いいでしょ)。最近常々思うのが、色々これまでも試してきたんですよ。

 

007に憧れてジンを飲めるようになりたい。いくら飲んでも好きになれない。

でも好きになりたい、でも無理。

 

複数の仕事をうまく回したい、幅広く勉強して、多角的な視点から物事を見て分析し、、、

結局いつも何が重要な指標が分からなくなって無理。

 

そんなもんを繰り返すうちに、やっぱり自分がうまく行く時のスタイル、好きなものってなかなか変わらないんだなと。

そして、もうジンが好きな自分にはなれないと、決意する時が来るんです。それくらいなりたい自分にトライするんだけど

結局いつもの自分に戻るんです。

 

結局うまくいっている時の自分って同じで、へんに力をかけてもやっぱり変わらないところが見えてくるんすよ。

例えば研究に於いても僕はあまり理論系には向かない(シミュレーションで外乱が気になっちゃう)し、

これってスポーツでも同じでした。

 

結局はいつもの自分はこれだと自分で諦めをつけて頑張るということタイミングが30代かなって思ってます。

 

修士+3年 vs 博士の話と後輩育成の話がごっちゃになった(査読前・下書き)

最近はツイ廃になっていて、脳みそが考えたことを半自動的にツイートするまでレベルアップできました。

某氏の大学批判もあり、後輩育成何やったかなーと思い出したことがあるのでぼーっと書きます。

 

後輩の育成をする機会が増えてきたので感想を書きます。

僕がいる会社はいわゆるJTBC(Japanese Traditional Big Companyの略 )で、人数が多く、動きも遅く、保守的な会社です。昇進は年次で大体が決まるし、仕事しない人がいてもさほど詰められないようなイメージです。よく言えば優しい、悪く言えば甘い。

そんな弊社、研究所の研究者は修士以上が普通なので、そういった新人さんの育成を担当しています。

育成といっても、研究所のルール、文書の添削、資料の添削、研究の相談に乗るとか、そんなことをしています。

 

僕が新入社員の頃は文書・資料の添削を散々されて、

「学位論文まで書いたのに一体自分はなんなんだ、自分の学位(博士)は無駄だったのか」

と悲しくなった思い出がありました。

 

さらに今更思い出したのは、自分が学生の頃に博士とった先輩が会社に入り

「学位なんていらなかった、修士で就職すれば良かった」と泣いていました。

 

前置きが長く分かりにくくなりましたが、会社の教育とは

「その会社のやり方をインプットだけ」なんですよ。だから修士卒+3年会社 vs 博士卒新入社員で戦ったら

後者は圧倒的に負けます。サッカー歴3年の人と、素人だけど運動神経抜群の人がサッカーやったら負ける。

みたいな感じです(博士=運動神経抜群と比喩しましたが突っ込まないでください)

なので、気にしないでください。研究を5年以上やると腰を据えてやった経験なんて会社では永遠に得られないのです。

ただ、会社の研究では往々にして、浅い経験を早く回すことが重要なんです。なので、割と修士卒の方の方が有利です。

むしろ深い知識があると、判断材料が増えることになり判断に迷いが出るので、知識の浅い人の方がうまく行くケースが多いです。

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに書いた。ブログは論文だ!(査読前・初稿)

ちゃんと纏まってからじゃ無いとブログは書けないと思って生煮え状態の下書きばかりになっていたのですが、この現象は論文と同じだと気づきました。

論文を書いたことの無い学生さんの読者もいる可能性もあるので(0であることは証明できないよね)説明します。

 

以下、研究者が論文を書いて投稿する話

 僕ら研究者は誰もやっていないことを研究していますが、結果が出ると論文を書きます。(論文になる結果が出たから書くというケースもあります。)

私の専門のレーザ加工系の場合、多くは海外論文誌に投稿しますが、その論文誌にもランクがあります。漫画で言うと歴史ある週刊少年ジャンプに掲載されるか、マガジンか、サンデーか、はたまた最近出てきたweb系の漫画誌もありますね。研究論文誌にはIF(インパクトファクター)と言う定量的な数字があります。異分野との比較は出来ないのですが、まぁ大体どの雑誌に掲載されたら凄いか、みたいなもんです。「お前レベル82の雑誌に載ったのかよ!俺はレベル18だぜ」みたいな。(本当はもっと色々あるよ、優しい目で見てね。)

だから研究者はIFの高い論文誌に投稿したいのですが、論文を投稿すると「査読」と言う審査があります。実験をする研究者では論文は月1とかでは出せないので、1個の論文をどれだけ高い雑誌に掲載させるかは重要です。

 で、冒頭の話に戻ります。なので研究者は論文を書き始めると、もう少し新しいデータを足せばもう1レベルIFの高い論文誌に投稿出来るかもと考えてしまい、延々と修正・かき続けてしまうことがあるのです。ブログも同じだなと思ったよと言うことです。おしまい。

 

論文をどう書くかと言うのは研究者によって考えが色々あります。レベル80を2年に1回出す人、レベル20を2年に6回出す人。今企業で働いてみると、後者の論文の方がありがたいということが最近わかってきました。論文は掲載することが目的ではなくて、読んでもらうことがまず大事で、そして引用してもらってナンボだと僕は思います。つまり、投稿した論文誌より、どれだけ多く引用されたかの方が大事です。どれだけ引用されたかの指標で研究者ごとにH-indexと言う数字も出てます。しかし、論文誌のレベルを表すIFは引用回数で決まる数字なので、実際にはほぼ同義です。IFの低い論文誌に出しても沢山引用されるのであればいいなとは思います。

 

ブログのこと書くつもりでしたが、論文のことの話になりました。

しばらくはこう言う感じで色々書き殴って、未来の自分に査読してもらってよりよくしていくことにします。

 

では

 

 

 

 

 

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