理系博士の人生

研究よりも組織論や理系教育に興味がある体育会系工学博士のおぼえがき

塾生注目 「私の履歴書 小泉信三」を読んだよ

おはようございます。

gobostonです。

 

「練習ハ不可能ヲ可能ニス」

で有名な小泉信三氏の私の履歴書が家で見つかったので読んだことを思い出しました。

タイトルにもあるように小泉氏は慶應義塾の塾員であります。この慶應義塾の本質とは何か、これは常に考えてきたことなのですが、この本にひとつの解があったように思えます。

 

メモ

・昔の慶應義塾の風土を再確認できた。

どうも 自分の中で培ってきた慶應義塾の風土は間違っていたように思う。当時はもっと自由な風雨度だったし、変な人(自慢するやつ、無愛想なやつ)とかも普通にいた。議論が皆んな好きだったと思うし、適当に酒飲んで話すのが好きなのだったろう。

 

当時の慶應義塾の強み=議論が好きなところ

 

その他に面白かった点は兎にも角にも(このフレーズを小泉信三はよく使っていた。)謙虚である点。これはもっと学ばなければならない。

謙虚であるのは能力があるが故の余裕やもっと向上していきたいという気持ちの表れでもあるだろう。

 

小泉信三氏は塾長にもなったのだけれども、その会見がまた興味深い。

「前塾長の方針をそのまま踏襲するばかりです。学校行政には極めて無関心であったから、これから勉強するつもりです。学生諸君にはあらゆる意味で勉強してほしい。」

この言葉を会見でいうだなんてなんて自信満々なのだろうと驚きます。自由な時代という言葉で済ませないですね。

 

また、この時代、1900年代初頭なのです。面白いことに当時の先進国はイギリスなんですね。アメリカは第一次世界大戦後にアメリカが債権国となったことで、それ以降飛躍的に発展しているので、当時はまだ発達途上の国なのです。さらに、ナチスドイツから優れた学者が頭皮したことが強い一員であると筆者は語っています。

ジョンズホプキンス大学のギルマン博士が常に教授陣の学問的業績に注意してきたという一言は私には印象深かったです。それに対して小泉信三氏も共感していました。

今の慶應義塾はどうなのでしょうかね。

 

PS

小泉信三氏が塾長の頃に藤原銀次郎氏が藤原工業大学を慶應義塾に寄付しました。

以上

 

 

 

google-site-verification: google84974fe837e8b716.html