理系博士の人生

研究よりも組織論や理系教育に興味がある体育会系工学博士のおぼえがき

アメリカで感じたちょっとした差別

こんにちは

gobostonです。

なにかしらあると、携帯電話のメモに色々書いていたことを思い出したので、その話です。

アメリカ留学中にちょっとした差別を受けたことがありました。

ニューヨーク州の外れのアウトレットモールに行った時のことです。ル・クルーゼというフランスのブランドのホーロー鍋を売るお店にいました。妻と商品を見ていると、アメリカ人の女性が店員に対して、

「これは中国製ではないの?」

と聞いた。店員はフランス製ですと応えた。その女性は僕らに気づくと、驚き、申し訳なさそうに謝罪をした。僕らは日本人だし、特に気にしていないよと応えた。

その場はそのまま収まったが、その時の場面はとても印象に残っている。

それは、中国製だったら買わないと応え、僕らを見て謝った女性は

差別をしたという自己認識を持っていた。

僕らは、中国はどうであれ、僕らは日本人だから問題ないよと言ったことも、中国に対して差別的、偏見があったのだろう。

 

アメリカの他民族国家に留学してから気づいたことがひとつある。

アメリカは歴史的にも移民が多く(移民が建国したと言っていいだろうし)、留学生も多い為、人種や宗教には多様性がある。特に奴隷制をもとにした南北戦争もあったほどだ。そのせいか、人種に関する意識は敏感であると思う。

しかし、まぁ、ノリの悪い人間に対する差別はひどい。

 

結局差別があるかないかは、その国の歴史によるし、国の歴史、積み重ねがなければ差別という意識もない。日本では外国人は皆んな、英語を話すという偏見もある。黒人のかたを見ると恐怖を感じるのも偏見ではいだろうか。しかし、多くの場合は一種の防衛反応だと思っている。先入観を持つ頃は生きていくことでは非常に重要だ。

 

先天的差別と、知らないが故に、差別的感覚を持ってしまった、悪気はなく、訂正してくれる後天的差別。余裕や豊かさの欠如により相手を卑下することで安心してしまう。知らないが故に余裕に。

 

結局経済的豊かさや人生が充実していれば人権問題はもっと減るはず。

自分の中で余裕がないからこそ、人との違いを見つけて、自分を優位に持って行きたがる。

日韓問題で日本が最近注目されていますが、アメリカにいた韓国籍の友人は皆好戦的であった。

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